はじめまして。みつと申します。「レンタルスペース運営を日本一わかりやすく教える人」として活動しています。
この記事で伝えたいこと
いきなりですが、ものすごく平凡な人生を歩んできました。
一般的な家庭で生まれ育ち、家が貧乏だったわけでもなく、学生時代にいじめられたわけでもなく、大きなトラブルに巻き込まれたわけでもなく、人と違う経験をした記憶がありません。
そんなぼくですが、今では3つの会社を経営したり、年商1億円達成したり、書籍を出版したり、レンタルスペース業界の第一人者と呼ばれるまでに。
ぼくが特別な存在だったわけではなく、むしろ凡人。そんなぼくでも人生を大きく変えることができました。
ここまで来るのに様々な経験をしてきましたが、面白いのは今も変わらず凡人だということ。今現在、ぼくがまわりよりも優れているとわけではなく、むしろダメな点が多く…。
そんな凡人でも結果を出せるということがわかったので、ぼくがいかにして人生を変えていったのか振り返ってみたいと思います。
自己紹介
ぼくが生まれてから現在に至るまでを年表にしてみました。
1984年 (0歳) | 横浜で生まれ横浜で育つ |
1989年 (4歳) | 地元の幼稚園に入園。引っ込み思案で大人しいキャラ |
1991年 (6歳) | 地元の小学校に入学。少年野球を始めるが万年補欠 |
1997年 (12歳) | 地元の中学校に入学。 |
2000年 (15歳) | 公立高校に入学。3年間で女子と会話した回数3回 |
2003年 (18歳) | 都内の工業大学に入学。大学デビューを試みるが失敗 |
2007年 (22歳) | 横浜のIT企業にシステムエンジニアとして就職 |
2009年 (24歳) | パソコンに向き合うのが耐えられず退職 |
フィジーに留学したり海の家でバイト | |
フリーター生活に危機感を感じて就職活動スタート | |
2010年 (25歳) | 横浜の会社に就職。歯科向け予約システムの営業マンとなる |
仕事に慣れてくるものの雇われるという生き方が合わないと思い始める | |
独立を決意し、ビジネス書を読んだり自己啓発セミナーで勉強しまくる | |
2012年 (27歳) | 知り合いの社長さんから「うちで働かない?」と誘われる |
2013年 (28歳) | 都内の会社に転職。FAXDMを配信する仕事に就く |
2015年 (30歳) | 30歳になり本気で焦り始め、独立のために本気で動き出す |
2016年 (31歳) | レンタルスペースに出会う。最初は副業としてスタート |
利益が出たので開業3ヶ月後に会社を退職し、念願の独立 | |
2017年 (32歳) | 2店舗目をオープンするもうまくいかず |
レンタルスペースがダメな気がして他のビジネス探す | |
当時同棲していた彼女が妊娠。結婚することに | |
立て続けに3回詐欺に遭い貯金0円&サラ金で350万円借金 | |
2018年 (33歳) | 一発逆転を狙い、会社を立ち上げて500万円の融資を受ける |
子供が誕生。めでたいはずなのに自分のことでいっぱいいっぱい | |
コワーキングスペースを開業したもののオープン2日目に閉店を決意 | |
うつ病診断される。精神的に辛い毎日を過ごす | |
父の会社の手伝いをしてなんとか生きながらえる | |
2019年 (34歳) | レンタルスペースのブログを始める。9ヶ月毎日更新 |
コンサル依頼をいただく。店舗を少しずつ増やし月収50万円 | |
2020年 (35歳) | YouTube、Twitter始める |
有名インフルエンサーのイケハヤさんに注目される | |
動画教材、コンサルティングで収益化。発信から半年後に月170万円稼ぐ | |
2つ目の会社を設立 | |
2021年 (36歳) | 月600万円の売上達成 |
オンラインサロン「レンタルスペース研究所」スタート | |
書籍「レンタルスペースの教科書」出版 | |
発信に限界を感じ、事業に力を入れることを決意 | |
レンタルサロンやレンタルスタジオなど6店舗開業 | |
2022年 (37歳) | 撮影スタジオ4店舗開業 |
3つ目の会社を設立 | |
パーティールーム開業 | |
レンタルスペース10店舗を5,600万円で譲渡 | |
オンラインスクール「レンタルスペースの学校」スタート | |
2023年 (38歳) | 家族でマレーシアに移住 |
4つ目の会社を設立(マレーシア法人) | |
年商1億円達成。海外から日本のビジネスを展開中 |
改めて振り返ってみるといろいろあったなぁと懐かしくなりましたw
大変な時期も多かったですが、なんとか乗り越えて今は楽しく過ごしています。
凡人のぼくがなぜこんなふうに変わっていったのか、これまでの人生を少し深掘りしてみたいと思います。
ビックリするほど平凡な人生
まずは10代20代のころのぼくについて書いていきますね。
平凡すぎるのでサクッと読み飛ばしちゃってください!
冴えなかった学生時代
すみません、書けることがありません。。
地元の幼稚園、小学校、中学校に通う日々。
引っ込み思案な性格で、彼女ができたことはもちろんなく、高校時代の3年間で女子と話したのは確か3回ぐらいだったと思います。(話したといっても一言二言の数秒程度w)
同級生は部活やバイトや遊びや恋愛など好きなことに明け暮れていましたが、ぼくは特にやりたいことがなかったため学校の勉強に集中。
特別頭がよかったわけではありませんが、真面目で素直な性格で親や先生に言われた通りに勉強をしたおかげで高校での成績は優秀、推薦で大学に入学することに。
冴えない学生時代にピリオドを打つため大学デビューを試みましたが、そんな簡単に性格を変えることもできず。
かといって真面目に勉強していたわけではなく、授業をサボってクラスの男友達とビリヤードをしたり、カラオケをしたり、飲みに行ったり。
単位ギリギリでしたが、就職しやすい世代だったためIT企業から内定をいただくことに。
大学ではプログラミングを専攻していたので、その流れでSE(システムエンジニア)として働くことになりました。
と、改めて学生時代を振り返ってみましたが、書くことがなさすぎてすみませんw
結果が出ない会社員時代
横浜のIT企業にシステムエンジニアとして就職したものの、少しも面白さを感じることができず。
大学で勉強をサボっていたこともあり、技術的についていくのが大変で、なにより決められたことをこなすことに大きなストレスを感じていました。
かといって他にやりたいこともなかったので嫌々会社勤めを続けましたが、サザエさん症候群になったり、パソコンを見るだけで頭痛がしたり精神的に追い込まれ。
いよいよ我慢の限界に達したぼくは「こんなことをするために生まれてきたわけじゃない」ということに気付き、退職することを決意。
これまで親や先生から言われた通りに生きてきたぼくでしたが、自分の意思で決断したのはこの時が初めて。
なんだかとても開放的な気分になったことを覚えています。
退職後、「自分がやってみたいと思ったことをやろう」ということで、フィジーという南国に語学留学したり、海の家でアルバイトをしたり。
これまで窮屈な人生を送ってきたこともあり、自由な生活を存分に満喫しました。
定職に就かないフリーター生活を送っていましたが、「このままじゃヤバいかも…」と我に返ります。
見た目はチャラくても根は真面目なんだと思います。
システムエンジニア時代のトラウマもあり、「パソコンじゃなくて人と向き合うほうがいいかも」ということで営業の仕事をすることに。
歯科向け予約システムを取り扱う会社に営業職として就職しました。
営業の仕事は楽しくやりがいもありましたが、何かが違う気がしてしっくりきません。
色々と考えた結果、「雇われて働くのが合わないから独立しよう」という答えを出しました。
独立したいと思ったものの、副業の経験すらなかったので何をやればいいか見当もつかず。
とりあえず、ビジネス書を読んだり自己啓発セミナーに参加したり、起業に関する勉強をしました。
ただ、机に向かってお勉強だけしていても起業できるわけもなく、気付いたら30歳に。
「このままじゃ一生変わらない」と焦り始め、そこから行動するようになります。
独立してからが本当の地獄
念願の独立を果たせたものの、失敗の連続で地獄のような日々が続きます…。
当時は本当に瀕死状態でした。。。泣
独立するまでの流れ
副業すらやったことがなかったので、何をやればいいのか全くわからず。
「とりあえず自分が興味を持てるこことで起業しよう」ということで、健康関係のビジネスをすることにしました。(当時、筋トレをやっていて健康に興味があったため)
「健康といえば漢方だろう」ということで、漢方について調べ始めます。(今振り返るとなぜ漢方なんだろう?と突っ込みたくなりますがw)
「漢方を気軽に摂れる漢方スープを売り出したらいいのでは?」と思い、漢方について勉強したり、漢方の本場である香港まで行ってみたり。
ただ、馴染みがない漢方を使って料理を作るのは難しく、しかも薬事法まで絡んできたこともあり、初心者のぼくにはハードルが高いと感じ断念しました。
漢方スープは作れませんでしたが、20代のころの机に向き合ってのお勉強とは違い、実際に行動に移すことができたのは大きな進歩。
何かを成し遂げたわけではありませんが、自分の中で自信になったことを覚えています。
漢方とは別のビジネスに目を向けたところ、次に挑戦しようと思ったのはナッピングルーム。(温泉やスパにある休憩所みたいな部屋)
疲れている現代人が多く、仕事の休憩中に30分でも仮眠できる施設があれば重宝されるのでは?ということで、物件を探すことに。
いくつか候補となる物件が見つかりましたが、「寝るだけのためにお金を払う人はいるんだろうか?」「男女で部屋をわけないといけないのでは?」「目覚ましが鳴ったらほかの人が起きないだろうか?」など、ネガティブな気持ちがどんどん湧いてきました。
ナッピングルームを作るには初期費用も固定費もかかります。今振り返るとやらない理由を作っていたように思います。
漢方ルームを断念し、ナッピングルームも諦め弱気になっているとき、知り合いが「レンタルスペースなら簡単に作れるよ」とアドバイスをくれました。
当時は「レンタルスペースは場所を貸し出すだけのビジネス」だと思っていて、正直興味がありませんでした。
とはいっても、今の自分にできることは限られているし、何かやらないと人生を変えることはできないと思いとりあえずレンタルスペースをやることに。
一旦レンタルスペースで起業して、あとで他のことをやればいいやという軽い気持ちで取り組むことにしました。
初めてのビジネスが大当たり
レンタルスペースを始めるために物件探しを開始。
最初は家の近くの新横浜で物件を探していましたが見つからず。
第二候補の横浜で物件が見つかったので、申し込むことに。
安月給のぼくにとって家賃14万円弱、物件の契約金90万円は大きすぎる。
でも「どうしても人生を変えたい」という気持ちが強く、勇気を出して飛び込みました。
今振り返ると、この時の決断がぼくの人生を変えるターニングポイントだったと思います。
知り合いがダンスができるレンタルスタジオを運営していたこともあり、ぼくも同じコンセプトで開業することにしました。
鏡を手配したり、ロゴを考えたり、看板を作ったり、ホームページを作ったり。何をするにも初めてのことばかり。
ぼくが1店舗目を開業した2016年は、レンタルスペースを運営するための情報やノウハウが今のように出回っていなかったので全て独学。(知り合いからはレンタルスペースの存在を教えてもらっただけで、ノウハウなど教えてくれませんでしたw)
最初は舐めてかかっていたレンタルスペースですが、目の前の作業にいっぱいいっぱい。
本業をやりながらの開業準備はなかなか大変でしたが、なんだかとても充実していたのを覚えています。
これまでは決められたことをこなす日々でしたが、自分で道を切り開いていく感じがとても快感でやりがいを感じました。
苦労して立ち上げた初めてのレンタルスペースですが、寝る間も惜しんでがんばった甲斐もあり初月から家賃分の売上を達成。
2ヶ月目以降は順調に予約が増えて、3ヶ月目には30万円の利益になりました。
「1店舗だと30万円だけど、これを100店舗作れば億万長者になれるぞ」とワクワク。
レンタルスペース最高!ということで、開業3ヶ月で本業を辞めて念願の独立を果たしました。
長い長い暗黒時代に突入
1店舗目が軌道に乗ってから、すぐに2店舗目の物件を探しました。
同じ横浜で物件が見つかったので即申し込み。
ダンスでうまくいったのでそれを横展開すればよかったのに、次は違うコンセプトに挑戦してみようと意気込むぼく。
多目的ルームとしてオープンしましたが、これが全くハマらず…。
思ったように予約が入らず家賃分の売上を出すのが精一杯。
ぼくのコンセプトミスが原因でしたが、当時のぼくは「レンタルスペースって稼げないな」と、なんとレンタルスペースのせいにしてしまったのです。
2店舗目でレンタルスペースに見切りをつけたぼくは、他のビジネスに挑戦しようと動き出します。
「自分にできることはない」と思っていたので、とりあえず情報を仕入れようということで人に会いまくります。
ビジネス交流会に参加したり、ネットの掲示板に投稿したり、都内や横浜で開催されるイベントがあれば毎週のように足を運びました。
何者でもないぼくと話してくれる相手も何者でもなく。
何者でもない2人が会話をしたところで何か生まれることはありません。
それでも人と会っているというだけで仕事をした気分になる愚かな時間を過ごしていましたが、月100人にも会っていると中には悪い人もいるもので…。
「起業したい!」「稼ぎたい!」「人生を変えたい!」と前のめりなぼくは詐欺師にとって格好の餌食。
なんと1年の間に3回も詐欺に遭うというとんでもない事態に陥りました。
貯金は全てなくなり、サラ金で350万円を借りるという大惨事になってしまい…。
実はこの大惨事のちょっと前のタイミングで、同棲していた彼女の妊娠が発覚。結婚することになっていました。
「このままじゃ家族を養えない」と思い、一発逆転を狙い会社を設立。
500万円の融資を受けてコワーキングスペースを立ち上げることにしました。
この時は精神的におかしくなっていましたが、「今の状況を何とか改善したい」という気持ちで自分に鞭を打ってなんとか開業。
オープン初日、誰も来ないだだっ広い部屋で一人ポツンと滞在。
次の日もコワーキングスペースに向かいましたが、自分の中で何かが吹っ切れたのか、諦めがついたのか、自信がなかったのか、辞めようと決意。
500万円かけて作ったコワーキングスペースですが、オープン2日目に閉店することになったのです。
「コワーキングスペースをオープンすれば人生を変えられる」と思い込んでいましたが、そんな甘い話はなく。
借金を返そうと思って立ち上げたのに、逆に500万円の負債を抱えてしまいました。
ちょうど子供が産まれたタイミングと重なり、本来であればおめでたいことなのに喜ぶ余裕もなく。
生活するためのお金がなかったため、メルカリで所持品を売ってしのぐという悲惨な日々を過ごしました。
このとき初めて、「詐欺に遭ったのもコワーキングスペースで失敗したのも、自分が努力せずに楽して儲けようと思ったのが原因」ということに気付きました。
地獄を乗り越えたあと待っていたもの
どん底まで落ちましたが、ここから人生が動き出します。
やっと明るいお話ができそうです!
レンタルスペースに集中
努力から目を背けていたと気付いてから、自分の考え方や生活など全て見直し。
いろいろなビジネスに手を出してきましたが、結果が出ていたレンタルスペース以外は捨て去ることに。
レンタルスペースに特化して活動していくことを決めました。
自分の考えをまとめる意味でも、レンタルスペース運営に関するブログを開設。
コツコツ努力することが大事だと痛感していたので、来る日も来る日もブログを書き続けます。
9ヶ月連続で毎日更新をして300記事近くの記事をアップ。
最初は誰にも見られなかったブログですが、徐々に読者が増えてきてお問合せやご相談が来るように。
最初は無料で相談に乗っていましたが、「有料でもいいからサポートしてほしい」というご依頼で、コンサル料として30万円をいただくことに。
資金が増えてきたので少しずつ店舗を拡大し、レンタルスペース運営だけで安定して月50万円を超える収益を得ることができました。
本格的に発信活動スタート
ブログを始めた翌年、発信の幅を広げたいという想いからTwitterとTwitterを始めます。
300近いブログ記事を書いていたので、発信ネタに困ることはなく。
YouTubeでもTwitterでもハイペースで更新し続けました。
ブログと同じく、最初のころはYouTubeもTwitterも伸びませんでしたが、徐々に見られるようになってきて。
本格的に発信活動を始めて約3ヶ月、有名インフルエンサーのイケハヤさんに認知されます。
レンタルスペース運営というビジネス自体に興味を持ってもらったのと、ぼくが発信活動に力を入れていることも評価してくれて、イケハヤさんに度々取り上げていただくことに。
有名インフルエンサーの影響力は本当に強力で、無名だったぼくが瞬く間にフォロワーが増えて認知度が上がっていったのです。
YouTubeとTwitterを始めてからも無料相談はお受けしていて、3ヶ月で月300人ほどの相談に乗りました。
その中の5名からコンサル依頼をいただき、なんと1ヶ月で170万円の稼ぎに。
「Twitterを始めてわずか半年で月170万円稼いだ」ということでさらに注目され、雪だるま式に認知が広がっていきました。
味を占めたぼくは、レンタルスペース運営は誰かに任せて、自分は発信活動に特化していこうと活動方針を決めます。
出版社から書籍出版のオファーが来たり、講演会の講師として呼ばれたり、オンラインサロンを立ち上げたり、数年前には考えられなかった景色が見えるようになりました。
毎月100万円を超える売上を記録、いいときは1ヶ月で600万円を超える売上を出したこともあります。
ただ、すぐに雲行きが怪しくなってきます。
発信活動に特化したことで肝心のレンタルスペース事業に取り組んでいなかったことが原因で、発信のネタが尽きてしまったのです。
「このまま発信ばかりしていたら尻すぼみになる」と危機感を覚え、事業に専念することに。
事業ありきの発信活動と気付いてからは、発信の割合を下げて事業に専念。
レンタルサロン、撮影スタジオ、パーティールームなどたくさんの店舗をオープンしてきました。
次のステージへ
事業に集中していく中で、一人の力だと限界ということに気付きチームで動くように。
ぼくのフォロワーやオンラインサロンのメンバーが協力してくれたおかげで、一人のときに比べて事業の拡大スピードが上がっていきました。
予約システムを開発したり、レンタルスペースを譲渡したり、レンタルスペースの運営代行をしたり、民泊にも挑戦したり。
活動の幅がどんどん広がっていったおかげで、年商1億円を達成しました。
会社員時代や独立当初のどん底時代からは到底考えられない成果を出すことができましたが、ぼくとしては「さらに展開していきたい」という気持ちが強く。
「次は海外で何かできたらいいなぁ」となんとなく考えていたので、試しに2週間ほど海外に行ってみることにしました。
適当に東南アジアを選んで、適当にタイとマレーシアとカンボジアの飛行機を予約。
ビジネスのネタ探しのつもりで海外に行きましたが、マレーシアの雰囲気がとても素晴らしく。
「日本人が住みたい国ランキング1位」と聞いたことがありましたが、その気持ちがわかるほど素敵な国に思いました。
「ここだったら住んでもいいなぁ」と思ったのがきっかけで、「今の自分の状況だと移住できるのでは?」と思いはじめ、最終的には「移住したい」と思うように。
マレーシアに到着した日の夜に、日本にいる妻に「マレーシアに移住しよう」と伝え移住することが決定。(サラッと書いていますが、家族で海外移住するのはなかなか大変でした…)
マレーシアに移住してからもレンタルスペース運営を変わらず続けているので、住む国が変わってもぼく自身がやっていることに大きな変化はありません。
が、マレーシアと日本とでは環境が大きく違うので、毎日がとても刺激的。
レンタルスペース運営に出会わなければ、こんな世界を見ることは絶対にできなかったと思います。
本気で伝えたいこと
長々とぼくの人生について書かせていただきました。(お付き合いくださり本当にありがとうございます♡)
今の結果だけ見ると成功者のように見えるかもしれませんが、そこに至るまで失敗の連続。
苦しい時期が長く続きましたが、それでも諦めずに行動し続けたから今があると思っています。
レンタルスペース運営のおかげで自由な時間やお金を増やすことができましたが、実は悩みも多く。。。
ぼく自身、今の結果に満足しているわけではないので現在進行形で新しい挑戦をし続けています。
チャレンジの数が多くなれば、失敗も増えますしスムーズに進まないことも多々。
動くお金が大きくなってきたり、ついてきてくれる仲間も増えてきたので、プレッシャーは大きくなる一方。
不安に思うこともありますが、ぼくは少しも後悔していません。
2016年に初めてレンタルスペースを立ち上げたとき、月収30万円だったぼくにとって家賃14万円弱、初期費用150万円は震える金額。
不安な気持ちの中で、それでも「絶対に人生を変えたいんだ」という気持ちで勇気を持って飛び込みました。
あのとき、一歩踏み出す勇気がなかったら今のぼくはありません。
なんの取柄もないぼくでも、行動することで人生を変えることができるんだと思ったのを今でも鮮明に覚えています。
もちろん簡単に人生が変わるほど甘いものではありません。
日々の努力や積み重ねは必須。
でも逆にいうと、なんの取柄がない凡人でも毎日がんばってやり続ければ結果が出るということ。
結果が出るまで時間はかかるかもしれませんが、諦めなければ必ず結果はついてくると思っています。
ぼく自身、まだまだ発展途上。
常に成長し続けたいという気持ちが強いので、これからも挑戦を続けていきたいと思っています。
最後に。
誰でも人生を変える力を持っていると思うので、ぜひ一歩踏み出してほしいです。
最初はみんな素人。失敗もするし、すぐに結果が出ないかもしれません。
でも動かなければ何も始まらず。
一日一日をどう過ごすかによって、1年後2年後の結果が大きく変わってきます。
ぼくはレンタルスペースに出会ったおかげで人生を変えることができました。
ただ、レンタルスペース運営はあくまで手段。
豊かな人生を送るためにはどうすればいいか?ということが大事に思います。
レンタルスペースじゃなくても何でもいいので、この記事が一歩踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
もしレンタルスペース運営に興味がありましたら、ぜひぼくの発信を見ていただきたいです。
いつかお酒を飲みながら語り合えたらいいですね。
素敵な人生になることを願っています。
みつ
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